母の亡くなった年2017年の暮れにCDに録音しました
この小さな守唄は2005年11月19日につくりました。
当時私は変わりつつある母の姿にとても悩み苦しんでいました。
どうしたらいいのか出口が見えず涙がすぐに流れる眠れぬ日々…。
本当はもっと優しくしてあげたいのにできない。
「わかって!お母さん」 と自分を責めながらその思いを詩に託しました。
友人がその日のうちに曲をつけてくれました。
でも簡単に歌うことはできませんでした。
母の日がある5月にのみ、主催する横浜歌声の会で歌っていました。
やっとふるさと下田歌声の会でも歌えるようになったのは
12年が経ち母が亡くなった2017年の秋でした。
地元で「こどもにかえった」なんて歌われたら嫌だもんねお母さん!
でも、いつしか母はこころから可愛いと思える
「こどものようなお母さん」に本当になりました。
童謡のように優しく歌っていただけたら幸いです。
母が永遠の眠りについた年に、CD製作を実現してくれた
お仲間にこころから感謝しています。
作曲&pf:安達治代、 vo2:井上孝子, デザイン:石原瑞生、 録音製作:金谷守晶
世田谷「愉快な仲間」でドキドキの紹介(赤川さん撮影)
作曲:安達治代さんとの出会い
40代の末に、病気のため手術。その後3年ほど体調が戻らず仕事もやめ家で鬱々としていました。「やらねばならないことはやらなくていい。やりたいことだけやりなさい」という夫のアドバイスで思い出したのが楽しかった「歌声喫茶」・・・でも遠くへ行く体力はないので、横浜のある女性コーラス「福祉女性コーラス」(通称:福女コラ)に入りました。
そこで出会ったのが素晴らしい指導者磯村先生と輝く女性たち
歌うことの基本を丁寧に教えていただきました。合唱祭に出るだけでなく、福祉施設へ定期的に音楽ボランティアにも行きました。同じ指揮者の男声合唱団「コール・ダンヘル」の皆さんと80人の混声合唱ができたことも楽しかったです。みなとみらいホールでの10周年コンサートの実行委員や衣装係をしたことも、とても勉強になりました。何よりもピアノ伴奏者の安達さんと知り合ったことが最大の宝です。
「涼風」100回記念ではピアノ伴奏をお願いしました。
仲間の太田さんは今もスタッフとしてサポートしてくださり、黒田さんも長いこと手伝ってくれました。
写真は安達治代さん。現在は白楽:歌声広場「わいわい」でご一緒しています。
(六角橋ケアプラザ原則第1土曜10~12時 \500)
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安達治代さん:福岡県出身 今も遠距離介護で毎月のように往復している
ピアノを小学校から習い、中学以降は吹奏楽、軽音楽を楽しむ
ヘルパー活動を開始したときに、結成されたばかりの「福祉女性コーラス(福女コラ)」に参加。その後、ピアノ伴奏を担当するようになり本格的にレッスンを再開。
努力の末、今では数団体のコーラス伴奏、歌声伴奏をしている。
”時を共有して感動を分かち合える仲間がいることは本当にすばらしいと思っています”(みなとみらいホールにて:コーラス10周年記念コンサートプログラムより)